用語解説

  • ■北条家と足利家
    足利氏歴代当主は代々、幕府内で影響力を増す北条氏出身の娘を正妻に迎えることで家柄を保ち、幕府の中でも地位を築き上げていった。
    鎌倉幕府の終わり頃までは、足利氏と北条氏は良好な関係にあったとされている。

    ■北条家と諏訪家
    諏訪氏は信濃国諏訪郡の領主。鎌倉時代には幕府の御家人を経て、幕府の実権を握った北条得宗家の御内人(直属の従者)となった。
    頼朝没後に飛躍的に拡大した北条家所領の管理などの家政運営を担っていた。さらに北条家は諏訪大社の祭事にも関わっていた。

  • ■武芸指南役(狩野三郎・塩田次郎)
    指南役とはもともとは指南番と言い、幕府や大名に仕えて武芸や技芸の教授を行っていた人のこと。

    ■幕臣(摂津親鑑)
    幕府の臣下のこと。
    長である征夷大将軍を直属の主君として仕える武士。
    実際の鎌倉時代には「御家人」と呼ばれることが多かった。

    ■六波羅探題
    鎌倉幕府が京都の六波羅に置いた機関。
    京都守護の役職に加えて朝廷の監視など、西国の出先機関としての役職。
    執権に次ぐ重要な職とされ、北条氏の一族より選任された。

  • 鎌倉幕府以降は、武士を中心とした武家政権。

    征夷大将軍:一般に鎌倉幕府以降における、武家政権の最高権力者をいうことが多い。ただし、平安時代にも征夷大将軍はおり、皇族の征夷大将軍も鎌倉時代や南北朝時代にいる。幕府の統轄、政治を主導したケースが多い。
    執権:将軍の補佐職ではあるが、実質的には鎌倉幕府の政務や軍事を統轄していた最高職。(武士の重要ポスト)
    侍(御家人):原則幕府、将軍に仕え、領地を所有する者を指す。
    侍(非御家人):幕府と主従関係を結んでいない者を指す。公家領や寺社領に仕えた者もいた。
    郎従・郎党:主に鎌倉・室町時代には、武士ではあるが侍ではなく、侍を主人とする者を指す。仕える家と血縁関係がない者。

  • ■貴族の出世
    大臣などの中央官の職は原則的に家柄などによる世襲制。 そのため国司などの地方官が中央官へと出世するのは至難の業。

    ■武士の出世
    有力な領主のもとに仕えて手柄を立てることが近道。多くの土地などを持つ領主と親戚関係になっても出世が近づく。

  • 武将と主従関係を結び、戦う配下のこと。命がけで戦うことが基本で、郎党の強さこそが主君の強さそのもの。
    原則主人との血縁関係はない。
  • 諏訪氏は武将と神官と「神」の役割を兼ね備えた極めて特異な領主であり、諏訪大社の当主は諏訪明神をその身に宿した「現人神」として、諏訪の地において絶大な崇拝を集めていた。
  • 飛鳥時代に牛や馬などの肉食禁止令が出され、仏教が殺生を禁じていたこともあり肉食はマイナーであった。
    当時において、武士にとって狩りは食料の調達が主な目的ではなく、馬や弓の腕前を上げるための訓練として行われていた。
    ただ、裏では肉食を好む人もいたようだ。
    本作の舞台のひとつである諏訪地域には、鹿の頭などを捧げる「御頭祭」もある。
  • 火山岩の一種で、別名天然ガラスともいわれている。
    簡単に割れ、鋭くとがるので、旧石器時代から縄文時代を通じ、弥生時代に鉄が伝わるまで、狩りの道具をはじめとしたさまざまな道具の主要な材料になっていた。
    信濃(長野県)では和田峠(長和町、下諏訪町)、北八ヶ岳(茅野市)など諏訪の周辺にも存在している。
  • 主人が家来に対し、自分の名前から一字を与えることがあった。
    これは大変名誉なことであり、武士にとって「ありがたき幸せ」であるため、改名をしていた。
    尊氏は、元服するときに北条高時から「高」をもらい、多くの歴代足利家当主が用いていた「氏」と組み合わせて使用していたが、 鎌倉幕府を滅ぼしたことで、今度は後醍醐天皇の名「尊治」から「尊」の一字をもらうこととなる。 天皇から名をもらったのは彼くらいではないかと考えられている。
  • ■幕府
    原則征夷大将軍を中心に、武士が政治を行う仕組み・組織やその場所のこと。

    ■公家
    朝廷に仕える貴族・役人。

    ■朝廷
    帝(天皇)を中心に、貴族が政治を行う仕組みやその場所のこと。
    鎌倉幕府ができてからは東国を皮切りに政治の実権は幕府に移ったが、その後も天皇を中心とする朝廷の勢力がなくなることはなかった。
    後鳥羽上皇による「承久の乱」や、後醍醐天皇と足利尊氏(高氏)による鎌倉幕府の滅亡を除けば、幕府と朝廷の関係(公武関係)は協調が基本であった。

  • 現在の県知事のような存在。
    鎌倉時代以降に武家政権である鎌倉幕府、室町幕府によって、相模や信濃はじめ多くの国に設置された。
    諸国の治安維持を担い、やがて担当国内の武士の統制も進めていった地方官。
  • 天皇の命を奉じて形式上は秘書官が出す、天皇の命令書。本作に出てくる後醍醐天皇は、綸旨を多用した。
    帝の綸旨に逆らえば「朝敵」となるため、「諏訪領の一部を小笠原領とする」という綸旨が出された際、頼重は何とかしてこれを紛失させようとした。
    (「朝敵」となると、周囲の勢力が大義名分を得て諏訪を攻めることができてしまうため。)
  • 当時のメジャースポーツ。逃げる犬に殺傷力の低い矢を当てて得点を競う。
    馬に乗って動く的を射るため、最も実践に近い訓練でもあった。
    安土桃山時代以降、戦術の変化によって衰退し、小笠原氏、島津氏など限られた家が伝承した。
  • 領地は、御家人などが主君に仕えたり、手柄をあげたことに対する恩給として与えられていたが、違反行為に対しては、没収処置が行われていた。後醍醐天皇は、旧鎌倉幕府方の領主の土地を没収しようとした。
  • 鎌倉時代の貨幣の単位に「文」があり、時代によって多少相場は変わったが、1文が約50円とされる。
    そして1000文(約50000円)で、1貫文とよばれていた。
    この1貫文は、お米が1石(約150キログラム)買える値段であった。
  • 国とは現代でいう都道府県にあたり、作中の時代において「〇〇国をやる」というのは、「その国の守護に任命する」という意味になる。守護というのはいわば上級役人であり、一国の武士たちのリーダーになりうる存在。一部ではあるがその国が生み出す税金や特産品を自分のものにできることもあり、多くの有力武士たちは守護になりたいと思っている。鎌倉、南北朝、室町と時代を経るにつれて守護の権限・権力は増大していった。
  • 主君に仕えて主に敵方の情報収集を行っていた存在。
    忍術と呼ばれる兵法などを駆使し、中には武芸に秀でた者もいたとされる。
    起源は、南北朝時代にも活動していた「悪党」にあるとの説もある。
    『太平記』に、高師直の指揮下にあった「逸物の忍び」が神社に火を放ったことが記されている。
  • 主君からの密命により、情報収集を行っていた存在。時代によって変化した「忍者」の呼び方のひとつ。主に江戸時代に活躍した。
    忍者の呼称のバリエーションとしては、戦国時代を中心に呼ばれた「間者(かんじゃ)」、江戸時代に暗躍した「御庭番(おにわばん)」などもある。
  • 忍者は火薬の技術に優れ、火薬玉を爆破させ、煙に紛れて姿を眩ませるなど火術が得意であった。
  • 軍勢を二手に分けて連携し、前後で呼応して敵を挟み撃ちにするような兵法。『三国志演義』などでもみられる。
  • 土地を失い野盗と化した武士達や、税も納めず独立天国を築く武士達など、賊の奔放さと武士の戦闘力を兼ね備えた多様な出自の集団をいう。
    幕府はこうした者たちを、「自分たちのいうことを聞かなくなった面倒な者」という意味も込め、「悪党」と呼んでいた。
    幕府の政治に対して不満を持った御家人が、反体制的な存在となり、悪党の構成員となることもあった。
    ただ、現代の「悪者」の意味ではなく、中世においては既成概念に縛られない者であり、強い者という意味もあったようだ。
    悪党の代表格に楠木正成がいる。
  • 刀で切りつけられても、「面」は兜、「銅」は鎧、「小手」は籠手で防げるほど強固に作られており、相手の攻撃を警戒すべき部分が僅かで済むため、そこ以外は意識せず戦いに挑むことができる。
    特に鎌倉時代前後の大鎧は重装備で、鎧武者同士が刀で戦えば六、七割は決着がつかないと言われていた。
    時代が進むにつれて、腹巻など比較的身軽な鎧が増えていった。
  • 鎌倉時代は「惣領制」に基づき、その家のこども(男子・女子ともにあり得る)に領地を分割する「分割相続」が主流だった。
    しかしそれを代々続けたことで、それぞれが継げる土地が小さく狭くなっていき、最終的に分配するための土地が不足したとされる。
    鎌倉時代後期頃から次第にその家の嫡男(基本的に長男)のみに、全てを相続させる「単独相続」へと変化していった。
    単独相続への変化が武士団や一族の内部に対立を引き起こした。後には、利を得るために一族のそれぞれが南朝、北朝どちらかについたことなどによる争いを拡大させた。
  • 当時、米は年貢として納めるものでもあったため、庶民が主に口にできるのは基本麦・粟(あわ)・稗(ひえ)などだった。
    武士は主にぬかのある玄米を食べ、公家や貴族達は、白米をおかゆにしたり、釜で炊いたやわらかいご飯を食べたりしていた。
  • 平安時代は、「真言密教」が貴族などに信仰されており、この宗派の儀式では修行や祈りを重ねると神秘的な現象が数多く見られるとされていた。
    ■ 神力
    神の通力。人智や人の力を超越した不思議な力。
    ■神獣
    神秘的な尊さをそなえている動物。また、吉兆として現われるとされる獣。麒麟(きりん)や龍など。
    ■御神渡り
    諏訪湖に伝わる伝承。湖の全面が凍り、その氷が厚くなって昼夜の温度差による収縮や膨張がおこると、奇異な音と共に氷が裂け、筋状に押し上げられて氷堤が生じる。この亀裂が、諏訪大社の祭神が上社から下社へと出かけた跡ともいわれ、「御神渡り」(おみわたり)または「御渡り」(みわたり)とも呼ばれる。御神渡り現象の記述は、古くは鎌倉時代前期のものもあり、代表的な3つの筋状の氷堤を室町時代にはしっかり観測していたことも確認できる。
  • 神に対して感謝と祈りを捧げるために奉納される舞を指し、神道における神事の一つ。
  • ■二毛作
    一つの田で基本的に春と秋の年に二回、異なる作物を植える「二毛作」は、鎌倉時代から始まったとされている。
    このため、食料の安定供給が可能となり、人口の増加や都市の発展を支えた。
    また、「鍬」などの新しい農業技術の導入や、家畜の糞尿を用いた肥料、水路の整備が進み、土地が豊かになったことも、二毛作の普及を促した。

    ■年貢
    領主が農民から取り立てていた租税。田畑の耕作者は、領主に毎年生産物の一部を納入することが義務とされていた。
    年貢として徴収される物は荘園ごとに様々で、原則として田んぼは米であったが、絹・布・油・紙・塩・木材なども年貢としてとられていた。
  • 中央集権国家をつくるために古代に制定された律令制のもとで、諸国を治めるために設置された役職。
    主に担当の国(例:信濃や相模など)における戸籍の作成や租税の徴収、兵士の召集、班田収授などをその役割としていた。基本的に中下級貴族が就任した。
  • 白刃(鞘から抜いた刀)や薙刀などで戦う兵士・歩兵による近接戦闘。
  • 鎌倉時代では酒造りが一層盛んになり、庶民も飲むことができたとされている。
    古代のお酒は糖度が高く、甘酒やどぶろくに近いものであったが、中世以降次第に酒造技術が向上し、切れのある味わいの酒が出始めた。
  • 不浄を取り除くための「祓(はらえ)」という行為の一種。
    神道に由来し、神事などを執り行う前に、川の水を浴びたり海につかったりして身体についた罪や穢れを落とす。
    また「身を清めるための水浴行為」を指し、諏訪大社でも上社前宮周辺などに禊に関連する史跡が残る。
    「祓」は身の穢れをはらうために神に祈る、あるいは神職などから祓いの儀式を受けることをいう。
  • 「でんぐん」と読む。
    戦において、自身の軍が撤退する際の最後尾を務め、敵襲に備える。追ってくる敵の追撃を防ぎ、味方を守るための部隊でもある。
    中国の『晋書』にも出てくる。古代や中世の戦闘で、殿軍を務めた武将が後世の語り草になる逸話もある。
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